「 日露外交は日本が主張すべき時 」
『週刊新潮』 '05年6月2日号
日本ルネッサンス 第167回
日本のロシア外交が変である。5月9日、モスクワでの対独戦勝利60周年記念式典に参列した小泉首相は、プーチン大統領と20分間話し合ったと報じられた。だが、一体何を話し合ったのか。国際情勢を見れば日本は賢く厳しくロシアに領土返還を迫るべき時であるにもかかわらず、首相が迫った形跡はない。5月18日の『日本経済新聞』の取材に応じた町村外相も、北方領土問題に関して「原理原則を貫いても何も生まれない」「両方が納得し得るということは双方がどこかで譲歩することだ」と述べた。領土問題を担当する最高責任者の言葉とは思えない。これが氏の本音なら、町村外交は対露関係で日本の国益を損ねるだろう。
小泉首相同様、対独戦勝利60周年記念式典に参列した米国のブッシュ大統領は、モスクワより先にラトビアを訪れ、第二次世界大戦後の国際秩序の大枠を決めたヤルタ会談での合意は、米国が犯した「史上最大の過ちのひとつ」であると演説した。北方領土問題を抱える日本にとって限りなく力強い追い風である。
ちなみにヤルタ会談は1945年2月、ルーズベルト・チャーチル・スターリンの米英ソ3首脳によって開かれた。クリミヤ半島のヤルタで彼らは国連創設、欧州の戦後処理、ソ連の対日参戦を話し合った。
ルーズベルトは対日参戦を促すためにスターリンに大幅に譲歩した。この点について元外交官でソ連問題の専門家、杏林大学教授の新井弘一氏が語る。
「ヤルタでルーズベルトの通訳を務めたチャールス・ボーレン大使が米国の犯した二つの誤りについて回想録に記しています。ひとつは日本に関する米ソ協定、もうひとつは国連の投票権問題で、ソ連に3票を与えた件です。日本に関してルーズベルトはスターリンの要求を受け容れて千島列島の範囲を定義せずに、ソ連に与えると合意したのです。そのためソ連は拡大解釈して北方四島まで奪った。ボーレンはこれを簒奪と表現しました」
軽率な外交手法
おまけにルーズベルトは、前述のように国連での投票権を、白ロシアとウクライナを入れた3票をソ連に与えたのだ。だが、スターリンはもっと強欲だった。彼は当初ソ連邦には15の共和国があるとして15票を要求した。ルーズベルトはそんな要求は馬鹿々々しいと考えつつも3票を与えた。この会談から2ヵ月後、ルーズベルトは死去したが、彼の判断ミスは、明らかに衰えつつあった体調と無関係ではないだろう。
こうした歴史を見れば、いま、ブッシュ大統領がヤルタ会談は間違いだったと述べたことがどれだけ深い意味をもち、どれほどの影響を日露関係に及ぼすかが見えてくるはずだ。この好機を、日本は米国としっかり連携して、日本の国益を守るために使わなければならないはずだ。米国の姿勢をフルに活用し、日本の領土である北方領土の返還を強く求めていくチャンスなのだ。
ロシア側にはいま、歯舞、色丹の小さな2島を返還して、平和条約を結び、日本から大規模投資を得ようとの思惑がある。2島で手を打たなければプーチン大統領の訪日も実現してやらないという姿勢さえ目につく。そのプーチン政権に、小泉首相が安易な笑顔を送れば、ますます侮られる。
町村外相も「原理原則を貫いても何も生まれない」などと言ってはならない。その種の発言は、「日本は原理原則を貫く国ではない」と、ロシア側に“誤解”させる。4島を返還しなくても日本は納得すると思わせてしまう。外交の最高責任者には許されない軽率さである。
小泉首相も、町村外相も、真に日本国民の代表なら、まず外交の基本を心得ることだ。それは我欲を捨て、国益のみを考えることだ。特に領土問題は「自分の任期内に」などと、自分の持ち時間ではかってはならない。かつて、外務省ソ連課長でもあった新井氏が強調した。
「領土問題の解決は国際情勢如何にかかっています。北方領土問題解決の機会はこれまでに3度、巡ってきたと思います。いずれも旧ソ連側からの働きかけです。1回目のチャンスは1955年から56年にかけて、フルシチョフの非スターリン化政策と共にやってきました。2回目は72年、中ソ対立が米中接近を生み、焦ったソ連は日中接近を阻むために、グロムイコ外相を訪日させました。日本を中国に接近させないためには北方領土問題の解決もあり得たでしょう。3回目が91年です。旧ソ連が崩壊し、ロシアとなり、彼らには領土問題で譲ってでも日本の援助を必要とする状況がありました」
繰り返される惨めな失敗
ソ連を巡る国際情勢が変化する度に、領土問題についての彼らの姿勢も変化する。4島を返してでも日本の協力を得たいと思えばそのような外交を展開する。日本は田中角栄首相のときの73年に日ソ間には「4島の領土問題が存在する」とソ連に認めさせた。91年には4島は「歯舞、色丹、国後、択捉」だと特定させた。だがその後、橋本龍太郎首相の頃から日本の対露外交はよって立つ基盤を揺らがして、譲歩を重ねてきた。野中広務氏や鈴木宗男氏らも、領土問題に関して日本不利の状況を作ってきた。
だが、北方領土の“簒奪”を許す結果を生んだヤルタ会談を、当事国だった米国の大統領が「史上最大の過ちのひとつ」と語る今は、日本が挽回するチャンスでもある。賢い外交展開で、米国の姿勢を日本有利の国際社会の風へとつないでいくことが出来る。なのに、日本が4島返還の原理原則を揺るがせて「譲歩する」などと言ってどうするのか。
首相も外相も、いやしくも自分の名誉のために外交で焦ってはならない。自分の手で北方領土問題を解決して、歴史に名を残そうなどとは考えてはならない。政治家の務めは、時機のくるまで揺るがずに日本の立場を固く守って、その堅固な立場を次の政権にしっかりと渡していくことだ。そうして日本の主張を堅持すれば、歴史の流れのなかで、必ず、領土奪回の機会は巡ってくる。
1945年9月2日、日本が降伏文書に調印した日、スターリンは1904年の日露戦争敗北の屈辱について、次のメッセージを発表した。
「この敗北はわが国に汚点を残した。わが国民は、日本が粉砕され、汚点が一掃される日が来ることを信じ、そして待っていた。40年間、我々古い世代はこの日を待っていた。そして、ここにその日は訪れた」
スターリンは、日本粉砕の決意で日ソ中立条約を踏みにじり、対日参戦し、北方領土を奪った。日本はそのスターリンに戦争終結の仲介を頼もうとしていた。いま、「双方が譲歩すべきだ」などと言うのは、60年前の余りにも惨めな失敗を、またもや、繰り返すに等しい。